自伝(その5)〜高校生活は部活とゲームの両立〜
家庭用ゲーム機の浸透
無事,高校受験も終わり高校生になった頃,もうマイコンはほとんど触らなくなっていました。
世の中には,任天堂の「ファミリーコンピュータ」が広く知れ渡るようになり,各ゲームソフトメーカーがこぞってファミコン向けにゲームを開発,発売するようになり,各家庭にもゲーム機が浸透し始めます。
各言う私も,実は中学生の頃,ファミリーコンピュータを発売間もなくすでに買っていたのでした。
コントローラのコードがグレーで四角いゴムボタンのやつです。今ではかなり貴重らしいです。
ただ,発売後すぐに買ったのですが,発売されているゲームソフトが少なく,すぐに飽きてしまって,しばらく押し入れの中に眠っていたのでした。
自宅でアーケード移植のタイトルが遊べる
このファミリーコンピュータには,本体発売後数年経つと,アーケードゲームの移植も多く行われ,自分にとっては,自宅でゲームだけをするなら,もはやマイコンでやる必要もなくなっていたのです。
自分の部屋で好きなだけアーケードゲームの移植ゲームができる!はずでしたが,ファミコンとアーケードではスペックが違いすぎて,やはり物足りなく思ったものです。
しかも,自分の部屋にあるテレビは白黒テレビ。モノクロですよ。
もちろんコンポジット入力など無く,アンテナ入力のみで,チャンネルもガチャガチャ回すやつです。
コレ,何が大変かって,例えばツインビーのベル。
ベルにショットを打ち込むと色が変わってそれに応じたパワーアップができるのですが,黄色と白,青と赤の区別が難しく,撃ちこむ時にショット数を数えなくてはならないのでした。
他にもドットパターンが同じで,色で機能が異なるというのは結構あったので(ドルアーガの塔とか),カラーテレビにはとても憧れましたね。
部活とゲームの両立
同時に,高校生活は部活にも時間を取られ(私は陸上競技部でした),自由な時間も従来より少なくなりましたが,相変わらずゲームセンター通いは続けていました。
やはり,当時は家庭用ゲームとアーケードゲームのスペックには雲泥の差がありましたから。
こんな感じで,高校生活は,部活とゲームセンターとファミコン,これらをうまく両立させ,楽しく送っていました。
え?勉強は?
はい,ほとんどやっていませんでした。
ただ,赤点を取るわけにはいかないので,テスト直前に凄まじいまでの集中力(?)でテスト勉強をし何とかクリアしていました。
そのせいか,サラリーマンになった今でも,いつも仕事は後ろまで引っ張り,ギリギリでラストスパートするスタイルは健全です(笑)。