自伝(その4)〜マイコンを封印されアーケードゲームに明け暮れる〜

マイコンを封印

PC-6001mkII を買ってもらったのが中学校2年生の時でしたが,それから1年も経たないうちに高校受験のシーズンに入りました。

両親は比較的学校の成績にはうるさかったので,受験勉強に集中するためにマイコンは封印されることになりました(泣)。

せっかくマシン語を覚えて,プログラムを作ることが楽しくなってきた時期だったのですが,親に買ってもらったマイコンなので仕方ありません。

部活も終わって受験勉強に集中する…はずがありません(笑)。

アーケードゲームに明け暮れる

マイコンは封印されましたが,とにかくゲームがやりたくて,またゲームセンター通いが始まりました。

ちょうど時期的に,ナムコのアーケードゲームが大ヒットしていた時期だったと思います。

ゼビウス,マッピー,リブルラブル,その後,ドルアーガ,ギャプラス,パックランドなど…。

パックランド – ©Bandai Namco Entertainment Inc.

私が住んでいたところは田舎でしたが,ある程度まんべんなくいろいろなメーカーのアーケードゲームが市内のゲームセンターそれぞれに設置されていました。

特定のゲームをやるのに自転車でゲームセンター間を移動する必要があったんですね…。

ベーマガやゲーメストの全国ハイスコア集計を行っているゲームセンターはありませんでしたので,隣の県のナムコ直営店まで電車で行ったりしました(電車は2時間に1本しかなかった。たぶん今もそう)。

自然と他の学校の人や高校生ともゲームを通じて友達になることができたので,結構楽しかったですし,いろんな情報を得ることもできました。

特にドルアーガの塔は,面ごとの宝箱の出し方を知らないと絶対にクリアすることはできません。

今みたいに SNS で何でも情報が得られる時代ではなかったので,一緒にプレイする友達はとても大事です。

みんなで交代でプレイして情報を出しあうので,お金の節約にもなりました。

そのおかげ(?)で,ギャプラス,パックランド,ドラゴンバスターなどは,ワンコインでほぼ無限にプレイすることもできました(パックランドはエブリエクステンド設定)。

そうは言っても,そこまでにいくらお金を使ったかは覚えていません。この頃の自分の毎月のお金は,ほぼゲームセンターに投じられたのでした…。

せっかく覚えたマシン語も…

受験勉強をちゃんとしていたかどうかは別として,しばらくマイコンから離れていたので,覚えたプログラム知識はすっかり頭から抜けてしまいました。

逆に,このころに覚えた上記ゲームのマップ構造やテクニックは,何故か今でも体が覚えていたりします。

まあ,なんの役にも立たないのですが,おっさんになった今,息子と一緒にレトロアーケードゲームを置いてあるゲームセンターに行って,これらのゲームをプレイしたりすると,「す,すげぇ…」と驚かれるので一利くらいはあるんでしょう。きっと。

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